「ツンとするまち、仙台」の起源。
前回の記事で「ツンとするまち、仙台」の連載をスタートさせた。
今日は私が仙台を「ツンとする」と感じた起源について書こうと思う。
突然だけど、仙台は首都圏に本社を置く会社の支店が多い。
仙台は「支店経済」だといわれるほどである。
それ故に、転勤族と呼べれる人たちも多く住んでいる。
毎年約2〜3万人の転勤族が仙台を出たり入ったりするのだそうだ。
私は転勤族ではないけれど、私の母は北海道から仙台に嫁いできた。
私が進学したのが私立だったということもあり、私は「地元との繋がり」みたいなものをずっと希薄に感じていた。
ビルの丸々ワンフロアが自分の家だったし、上下に入っているのはオフィスだったので、「ご近所さん」も「お隣さん」も「幼馴染」もいなかった。
最近はこういう人、多いのかもしれないけれど。
だから、生まれてこのかたずっと仙台に住んでいるのに、私と仙台の距離は遠い。
「あの店は古くからの老舗なんだよ」
「この地域で〇〇と言えばここだよ」
初めて耳にする情報がたくさんある。
28年も住んでいるのに、新鮮だ。
だから私は、このまちを出ないのかもしれない。
首都圏への渇望がないのかもしれない。
この土地のことをもっと知りたいのかもしれない。
近いのに遠い、私の地元。
好きかといわれると、実はそうでもない。
ありきたりで、普通の、ただのまちだと思う。
このまちでの、私の中の歴史がないから、愛着もない。
だからこのまちのことを思うと、胸がツンとする。
私のルーツはどこ?
私の「まち」はどこにあるの?
いま「まちづくり」という言葉が私の周りに溢れているのは、私自身はそういう気持ちを抱いているからなのかもしれない。
私は、自分自身の「故郷」を、自分の手でつくっていきたいと、思っているのかもしれない。